2011年4月7日木曜日

ブラック会社就職と脱出(だめだめな私と1999年)1

1999年は世紀末だといわれていた。
そして未曾有の就職難。エリート大学生だってヒーヒー言いながら就活しているのに、美大で、しかも油絵学科出は よほどのコネか才能がない限り企業のお目にとめていただけないだろう。

よりによって、こんな年に大学卒業だなんてなぁ。

街を桃色に染めながらふわりと舞う桜の花が、恨めしい。
意を決して受けた”博○堂”の面接でも、歯牙にもかけてもらえないといった感じだった。
周りは就活あきらめモード。
自称アーティストのフリーター、ニートが増えていった。
いいよ、裕福な家の出は、それでも許されるから、、、でもうちは無理だ。
だから何とか就活をと粘る。でも、まったくヒットしない。

奮発して新宿にある”○界堂”で買った履歴書も残るは二枚。

。。。。よし、願をかけよう。この2枚の履歴書を使っても決まらなかったら、フリーターしてお金ためて、日本を離れよう。
どうせだめでもともと、この逆境を楽しめるくらいじゃなくちゃね!

とにかく美術どっぷりでここまできたのだから、何か美術にかかわる仕事をと思って、インターネットや新聞、ハローワーク、、、、ありとあらゆる求人を探した。
(実は知らなかったのだ。今は4月。この時期になっても募集している会社は何かと問題があるゆえに、決まらないのだということを。)

『美大出身大歓迎。営業事務。簡単な電話のお仕事。頑張りによっては月額60万円以上もあり。:○○堂』

もちろん飛びついた。
電話して、恵比寿にある本社で面接して、即日採用!
なんて順調なんだろう。就活って、今までなんであんなに難しかったんだろう。
恐ろしいぐらいスムーズだった。

いかにもブランド物っぽい細身のスーツを着た35,6歳の”部長”が、『明日、正式に契約書を渡すから印鑑持ってきてね。』と白い歯を見せてさわやかに笑った。
オフィス内はオフホワイトにまとめられていて、社員一人ひとりの机の前に電話が並んでいた。
棚には画集が沢山あり、皆黙々と電話をかけていた。
父(自営業)も母(病院関係者)も会社員ではない私にははじめてみる光景で、少々不気味に思えたがそれがかえって新鮮だった。

明日から私ははれて社会人。そして、がんばりようによっては、、、、、♪
1999年に入って初めて、桜の花のまあるい香りを楽しむことができた気がした。

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