2011年4月7日木曜日

ブラック会社就職と脱出(だめだめな私と1999年)2

9時始業なので、新米は8時半からオフィス清掃。
9時から朝礼。
9時半採用契約の説明。
あれ?”営業事務”って、つまりなんでも屋っていうことなのか、、、営業も事務もやります屋ですね。
なになに?仕事内容は、、、、

画家のうちに電話して当社で出版している画集に絵の掲載を薦める営業。
電話営業文句の内容は”架空のコンペディションを開いたら、これまた架空の美術評論家からあなたの絵だけが高い評価を得たので、ぜひ当社が出版している画集”美術○○”に通常の掲載料の60%という破格の掲載料で絵を載せてはいかがか。その上、パリで行われる架空の展覧会にあなたの絵を出展するというオプションもつけることができるが、いかがか?”というもの。

ターゲットは80歳以上の画家で、一度は絵画商に入選したものの、その後パッとせず、細々と絵を書いているであろう人。

ノルマは一日200件に電話すること。
目の前に積まれた電話帳(画家リスト)はA4サイズの書類で、たかさは大体15cmある。

こんなにいるのか、、、
とたんに学科の仲間たちの顔が目の前に浮かんだ。
彼らは就職しないで、あるものは個展をするために絵筆を握り、あるものはさまざまな賞に挑戦している。このリストは数十年後の彼らであり、私の仲間たちである。
私は自分の美的センスに限界を感じ、今ここに座っているけど、彼らはまだ夢を追いかけている。
その人たちを今、私は架空の品評会や架空の美術評論家なんかを持ち出して、だまして金を取ることにならないだろうか?

DCブランドに身を包んだ、いかにもバブル時代の申し子のような課長がワンレンの髪をかきあげながらいった。

『そうだ、大場さん、多摩美出身だったよね。来週でいいから、卒業名簿、持ってきてくれる?あなたの代だけのじゃなくて、ほら、図書館とかで閲覧できるんじゃない?過去の卒業生の名簿。』

後頭部を鈍器で思いっきり殴られたような感じがした。募集欄に書かれていた文句”美大出身大歓迎”の意味はこれか!彼らは私の持っているデーターがほしいのだ。

その後は電話のかけ方。
いわゆるテレアポの方法。
1.その人の描いた絵を画集(過去30年に行われた絵画展の画集が本棚にずらりと並んでいる)から探し、絵の特徴を見出す。
2.電話して、”(架空の)コンペが行われたこと、(架空の)美術評論家があなたの絵だけをほめていたので、ぜひ画集に載せたいが、少々資金を相手側からも出してほしい。もちろん評論家のお墨付きなので、通常100万円かかる掲載料を60万円で掲載させて頂く。
そのさい、今秋パリで行われる(架空)ポンピドゥーセンターの展覧会にも出展させて頂く。
まえに言った60万円にはその費用もすべて入っている。”
と言う。
3.後はひたすら、ねばって交渉。

マニュアルには”どうせ日の目を見ない絵なんだから、本に載せるだけありがたいことだと思え”
や、”高齢者だったら、コンペも展覧会も調べるすべがないだろう”とかかれていた。

いくら私の頭がゆるいといっても、これはヤバイと直感で感じた。
詐欺なのかどうかは分からない。実際、画集にはちゃんと載せるのだから完璧な詐欺商法とは言わないのだろう。
ただ、、、、ココロガコワレチャウヨ、ココロガコワレチャウヨ、ココロガコワレチャウヨと思うのは、私が弱いからなのか?

社会と言うもので生きると言うことは、こんなギリギリと戦わなければならないのだろうか?

『じゃあ、実際に電話をかけてみようか?』というワンレン課長の声に逆らえもせずに、リストに乗っている順に電話番号を押す。

(おねがい、でないでくれ)

『はい、もしもし』
受話器の無効から上品なお年寄りの声。言葉が詰まる。
『私、○○堂の、、、、』
いいのか?これでいいのか?

画集に載せるのが良くないと言うわけじゃない。
架空の評論家、展覧会、値引き、、、、そんな嘘と画家の気持ちをはなから馬鹿にしている人たちがあたかも”あなたの見方です!”と言う振る舞いで、営業し、それがビジネスとして成り立っていることが、私には耐えられなかった。

何とか適当に電話をして、時が過ぎるのを待ち、逃げるようにうちに帰った。

”ジブンノココロヲコロシテマデ、ハタラクコトハナイヨ”
夕飯後に母に相談して、そういわれた時になんだか逃げるような悔しさと、一方、つま先からジンワリと体温がもどってきたような安堵感が入り混じった変な感じがした。

明日、出社して辞表を出そう。
こうして私の社会人生活はわずか2日で終わった。

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